私にはどうしても無謀にしか見えない挑戦に、子どもが夢中になっていて、困っています。
数十年先のことを見越して、親としてはあれこれ忠告したくなるよね。
進学のこととか、就職のこととか、将来のことを考えると、目の前の学校の成績とかがどうしても気になるからね。
でも夢中になって崖をよじ登ろうとしている子どもの姿は、キラキラ輝いています!
我が家にも勉強そっちのけで無謀なチャレンジに打ち込んでいる子がいて、学校の勉強なんてボロボロで、私はもう、ハラハラドキドキの日々。
でも今まで見たことのない子どもの生き生きとした姿を見ていて、改めて思ったのです。
私に出来ることは、いつでも子どもを受け止められる体制で見守る事。
「もし何かあって落っこちそうになっても、大丈夫だからね!」と励ましながら両腕を広げて崖の下から見守る事。
崖の上からの景色
無謀なチャレンジは、例えて言うなら、険しくて高い崖です。
足を滑らせるかもしれない、落石に巻き込まれるかもしれない、危険がいっぱいの高い崖。
堅実に進学して、就職へと続く道筋は、安全な手すり付きの階段のよう。
安全ルートがあるのに、そこから外れて崖によじ登ろうなんて、親として、危ないことはさせたくないと思うのは自然な事です。
でも崖の上の景色は、その崖を登った人にしか見えなくて、それが見たくて必死に頑張っている子どもがいたら、もうそれは応援するしかありません。
崖の上には素晴らしい世界が広がっているかもしれないし、更なる崖がそそり立っているかもしれない。
それは登った人にしかわからないのです。
何十年生きてきた私でもその世界は見たことがないから、わからない。
もし子どもがその景色を見るために全力で崖にしがみついてよじ登ろうとしているのなら、その子の気持ちが晴れるまで、目一杯挑戦させてあげたい。
それに、崖を登ることが、もしかしたらものすごく大きな飛躍になって、もはや安全ルートなんて、要らない世界まで飛び越えられるかもしれない。成功したら、の話だけどね。
寄り道も悪くない
忘れがちだけど、安全ルートからしばらく外れても、安全ルートはそう簡単には無くならないよ。
脇道に逸れて崖にチャレンジした後、数年後に安全ルートを辿り直しても何の問題もないんだよね、本当は。
中高生にとっては、数年の差はものすごく大きなものに感じるかもしれない。
でも30年、50年…と続いていく人生において、実は数年間ってほんの一瞬です。
安全ルートを歩んでいる同年の仲間たちが、着実に次の階段に登ろうとしているのを見て数年遅れることを心配する必要は、全くないのです。
崖チャレンジをした事で経験したことは全て貴重な学び。
遅れを心配するより、貴重な経験を積んだことを誇るべき。
危険な崖を登るためには、努力や工夫を始め、たくさんのものが必要です。
仮に最後まで登り切ることができずに落っこちてしまっても、挑戦を通して子どもは多くのものを学んでいます。
いつでも受け止められる体制で待つ
険しい崖を登るのに、怪我はつきものです。
挑戦する子どもは無傷ではいられないでしょう。
親である私にできるのは、いつ落っこちてきても安全に受け止められる用意をしておくこと。
「万が一足が滑っても大丈夫、下で受け止めてあげるから!」と心の中で唱えながら崖の下で両腕を広げています。
そして心の安全基地であること。
傷ついた時は、心と体をゆっくり休めたらいい。
しっかり休んだら、次に進めます。
崖への挑戦を続けてもいいし、別の階段を登ってもいい。
絵本「きょだいな きょだいな」の最後のページが素敵です。
空に吹き飛ばされた子どもたちは
どの子もしっかりと腕の中に抱き止められます。
そういう親でありたい。
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